1 退去したら原状回復工事が必要
建物賃貸借契約を終了する場合,借主は,借りた物件を返し,その状態を元に戻す義務があります。
借りたものですから,壊して返してはいけませんよね。
これを,法律では,退去に際して,借主が原状回復義務を負う,と表現します。
なお,新品の状態にする必要はありません。物を貸せば経年劣化するのは当然であり,家賃にはその償却分が含まれていると考えられるからです。
2 原状回復の工事の代わりに,借主が費用を払う合意をすることがある
特に店舗の契約などでは,借主が新たに造作(キッチンやダクト,備え付けの家具など)を付けることが多く,これらは次の借主にとっては必要が無いことがあります。
そのため,壁も床も全部取り除いてしまう,いわゆる「スケルトン」にする原状回復義務が契約で設定されることも多いでしょう。
そして,こうした店舗の原状回復工事は複雑かつ費用が多額になることが多いため,どのような工事をするのか,誰に工事を発注するのか,などを借主貸主の間で交渉することがあります。
そうした交渉の結果,借主が貸主に工事費用を払うことで,原状回復工事をしたことにする,という合意が結ばれるケースがあります。
3 原状回復費用をもらったが,そのまま居抜きで貸したらどうなるか
今回紹介する判決は,店舗を借りていた借主が退去するに際して,貸主に原状回復工事費用を支払ったところ,貸主が居抜きで新たな借主に貸しました。これを見た旧借主が,工事代金を払ったのに工事しなかった貸主に対して,不当利得返還請求権に基づいて工事費用相当額を返還するよう求めた事案です(東京地方裁判所平成30年(ワ)第14309号 令和元年10月1日民事第13部判決).
不当利得返還請求権とは,法律上の原因無く利得を得た者に対して,その利得を返還するよう求める請求権です。
本件では,原状回復工事をしなかったのだから,工事費用を受け取ることに法律上の原因がない,という主張でした。
結論から言うと,判決では,不当利得では無いとして請求が棄却されました(原告である元借主が負け、貸主はお金を返還しなくて良い,という意味です)。
4 退去時の合意内容が重要!
ここでポイントになったのは,以下の点です。
- 1 原状回復工事を行う義務があるのは,退去する借主であったこと
- 2 原状回復工事を終えてから明け渡す義務がある契約であったこと
- 3 明渡がなされなければ,賃料倍額相当の損害金支払いが課されていたこと
- 4 原状回復費用の交渉が行われ,合意に至ったこと
判決では,上記の点を踏まえると,「本件合意は,原告が本件店舗の原状回復工事に要する費用594万円(消費税込)を同年6月15日までに被告に支払うことにより原告の本件店舗の原状回復義務を免除し,本件店舗の明渡しが完了することとし,解約日までの賃料や敷金等の清算を行い,その他に本件賃貸借契約に関し,原告及び被告は何ら債権債務が存在しないとする合意であると解するのが相当であり,その後の事情の変更により,被告が原状回復工事を実施しなかったり,原状回復工事の施工内容が変更されて費用額が上記金額と異なったりしたとしても,その清算を行わないことを前提とした合意であると解される」
と判断しました(傍線部は筆者)。
しかし,この判断にはやや疑問があります。
一般に,建物賃貸借契約において,原状回復義務を果たしてから明け渡すよう規定されていても,そのままの状態で退去して占有を貸主に戻せば,少なくとも明渡義務は履行されたと解釈されているからです(民483条参照)。
もちろん,この場合でも,原状回復義務の未履行があれば,借主はその請求を受けます。
おそらく,本件では,会社同士の店舗物件の賃貸借契約であったため,原状回復義務が住居用の建物賃貸借契約よりもシビアに考えられたと思われます。
この判決の内容が,他の事案でも当てはまるかどうかは定かではありません。
一方で,退去時の合意書作成時に工夫をしておけば,こうしたトラブルは防げる可能性が高いです。
賃貸借契約書をきちんと用意している大家さんでも,退去時の合意書は用意されていないことが多いでしょう。
契約をきれいに終わるために,終了関係の書類を整備することを考えてみてはいかがでしょうか。
この記事は、掲載時点の法律関係を前提として記載されています。法改正などにより、解釈適用に変更が生じる可能性がありますのでご注意ください。